Japaayurveda
日本人の、日本人による、日本のためのアーユルヴェーダのつもりが今のところ只の雑文録。
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以前消したブログの最後のエントリーを忘れてしまいました。なので重複していたらスミマセン。でございますが、これを書かないと話が繋がらないので、面白くなくて重くて暗い話ですが書きます。なので読みたくない人はここでUターンよろしく。
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け、警告はしたからね!
ということで。時は再び8月上旬にさかのぼる。
転校したかった名医先生の大学に1年生からはちょっと…。落した3科目通ってから来てよ。と言われたので、不承不承じゃーむながーるに戻ったiwamulaでしたが、当然、やる気がないつまらない科目ばかりだったのでやる気が出ない。
怒涛のただひたすら暗記暗記暗記。が要求されるサンスクリット語、それって歴史というよりは神話やん。という、あんまし中身のない医史学、これもかなり、アーユルヴェーダに関するところを無理やり集めて教科書にしました。な苦しい感が漂う哲学。
でも通ればまだ万が一でも転校の可能性があるし。ということで嫌々過去問の分析から始めましたが、去年(iwamulaが受けて落ちたやつ)はやはりダントツに難しいので、調べていてもわからない。
担当の先生に聞きに行きましたが、担当の先生もわからない。ちょっと調べてくるわね。と言っていて、翌日、翌々日、よくよく翌日、と3回くらい聞いたけれどもまだわからない。超難しい問題というかマニアック問題。
担当教官がわかんないってどういうこと!?と思いましたが、それでも不適切ではない、やさしい問題だ。と言い張る担当教官。 だったら何で4割しか通らないわけ?あんたの教え方が悪いんでしょーが。と喉まで出かかるも、時は戻せない。怒りを呑み込んだままそうですか、と引き下がる。
サンスクリット語に至っては、正月休みに先生が交通事故で亡くなられたので、先生不在。急遽下の学年にあてがわれた先生はもともと、ジモティ用。つまり、英語が不自由でおられるので、昨日Aと説明したことを今日はBだった、と言ったりこちらの質問がわからなかったり、とコミュニケーションが難しいレベル。
面識がないうえにそんな英語力のない先生じゃどーしようもない。
と思って、かつての同級生、唯一全教科合格学年トップ君。が、じゃーむながーるに戻ってきたとき、「何か助けが必要なら恥ずかしがらないで言ってね」と言ってくれたのでその言葉を頼りに恥を忍んで彼に聞きに行くも
「忘れた」
の一言。他の、追試で通った元同級生二人も「忘れたわ」「それ、何の科目?」という始末。
すぐ上の学年の学年トップさん。に聞いたら。というも、あなたたちが覚えていない科目を、2年生の試験の科目の暗記ですっかりサンスクリット語なんて流れ去ったと思われる、さらに上の学年に聞いてわかるわけないでしょうが、フツーに考えて。
というわけで、白人の皆さんはすぐ「何かあったら助けるよ」と気軽に言う割にはいざとなると全く助けにならない、要するに社交辞令だったんだね。ということでかなり落胆、失望して帰宅し…ようとしたところ、問題の元凶、iwamulaの学年にわざと難しい出題、厳しい採点シフトを組んでiwamuraを落とした教授が現れた。
「すべて順調かい?」
はァ?あんた馬鹿? 母親死んで2か月で元気ぴんぴんになる奴がどれくらいいる? 誰のせいでこんなところでこんなことしてると思ってんの?
とキレそうになるのを眉をひそめて顔を引きつらせて嫌そうな雰囲気を漂わせて「いいえ」というのが精いっぱいでした。
部屋に戻ってからも自分の非を認めない担当教官や元同級生や元凶教授への怒りではらわたが煮えくりかえっていました。
かと思うと、こんなクソ大学でこんなダメダメ状態になって、それで母親に心配かけて、わたしが殺したようなものだ、と急に激しい悲しみに襲われて声をあげて泣きました。
その日は泣いたり怒ったりで忙しくてあまりよく眠れませんでした。
日本人の先輩に愚痴りましたが、もうその元凶教授の友達が主催する日本校の講師に就職が決まっているという先輩はもうあちら側の人間ということでしょう、たった一言(やな奴だよね、というわたしの言に)ウン、と言って欲しかっただけなのに、担当教官も板挟みのストレスでお腹痛いみたいだよ、と遠慮しながらわたしに言っただけでした。
他の日本人の先輩は、例の学年トップ君は、毎日試験の後、元凶教授の所に通って今日の試験は難しかった、ってアピールしてたのを友達が目撃していたよ。そのアピールのおかげで彼一人通ったんじゃない?
と失礼なことを言っていました。学年トップ君は、すごい勉強量でした。1か月前の準備試験で、トップの生徒がサンスクリット語で60点越えをした学年なんて今までありません。日本の点数とインドの点数とはちょっと感覚が異なりますが、
日本の90点~100点 = インドの80点以上
日本の80点~90点 = インドの70点以上
日本の70点~80点 = インドの60点以上
日本の60点~70点 = インドの50点以上
な感じです。インドは、決して学生に90点台や100点は出しません。先生の権威を守りたいからでしょうか。
そしてたいていの外国人学生は50点台がやっとです。60点出すとお、できるねえ。という感じで、70点超えは、もう州で何番、くらいの超優秀なイメージです。
わたしの学年の学年トップ君がいかに優秀だったかおわかりいただけると思います。
ちなみに、インド人はとても嫉妬深いので、人種差別もあります。どうやら、外国人に良い成績を取られるのが癪みたいです。だから、すぐ上の学年の学年トップさんは、50代エンジニア、アメリカ系インド人のおじさんですが、彼は89点で伝説の最高得点となりました。先生のお気に入りで、礼儀正しい、インド人の彼に最高得点を取らせたかったのでしょう。
が、彼の学年の問題はとても優しかったのと、彼はインド人ですからヒンディーができるので、ヒンディーの教科書(英訳されてない)を直接読める有利な点があったことを考えると、わたしはうちの学年の学年トップ君のほうが実力や勉強量は上だったんじゃないかと思っています。
話が逸れました。
つまり、うちの学年のトップ君が難しい、と訴えるレベルだったのに、そしてそれを少なくとも試験の日にはその元凶教授は知っていたはずなのに、結果発表になって試験が難しすぎる。質問もできなかった。と抗議したわたしに、
「わたしも結果が発表されて初めて今年の試験がこんなに難しかったと知ったんだよ。(問題の難易度を調整する)コーディネーターがいなかったなんて知らなかった。」
とぬけぬけと抜かしたのです。つまり嘘をついていたということです。コーディネーター云々は、たぶん語るに落ちる。で、わたしはそんなことは知らないし聞いてもいないのに余計な事を言ってますから、たぶん彼の命令でコーディネーターに問題の難易度の調整はするな、とでも言ったのでしょう。他の試験官にも、採点は思いっきり厳しく。とでもいったのでしょう。
そもそも、去年は変なことばかりでした。この1か月前の準備試験で、先輩達は、名前だけ書いて10分で出てきてしまう、準備とは名ばかりの試験で、だからどの学年のどの生徒も、合格点の50点以上取る生徒なんていません。0点のオンパレードです。
それが普通だったのに、去年は、なるべくよい点を取らないと本試験を受けさせない。とか、時間ぎりぎりまでがんばりなさい。と言われていました。
その意図など知らず、できる生徒たちはそのとおりにしていました。だからかなりの科目で、50点超えの生徒がちらほらいました。
つまり、わたしたちの学年がとても真面目で他の学年より優秀であることをあらかじめ知っていた元凶教授は、この準備試験でわたしたちの実力を測り、本試験でそれをもっと上回る難易度であるとか、過去問の傾向を外した出題にしてでも、点数で報復するために、意図的に落そうとした、と考えられます。
それが、解剖の先生が授業に現れないから、変えてくれ。と何度頼んでもらちが明かないので、学長→副学長→元凶教授、の順に頼みに行ったことの、わたしたちへの報復だというのですから、教師の風上にも置けないチ〇カス野郎です。
こんなことで恐怖政治を敷くことしかできない、小心者のチン〇ス野郎のせいで、わたしは2年生になれず、いつまで経っても臨床の勉強ができないのです!!!!
怒りと悲しみのせいか、胆嚢のあたりが重く張って苦しくてなかなか寝付けない日もありました。
たったひとつ上の学年はもう新3年生になって白衣を着て病院実習に行っていますし、元同級生たちは、また薬草学の先生がいないの。と暗い顔をしつつも2年生の勉強をしています。わたし一人、監獄に押し込められていつまでもつまらない1年生に取り残されているいるみたいだ。と強く思いました。
わたしは他の学生を見るのがつらかったのと、誰にもこの怒りと悔しさと悲しさは理解してもらえないんだ。と思い、他人との接触を絶って自然と砂漠の監獄のような寮の自室に引きこもるようになりました。
外に出ると、元凶教授のスパイがじっとわたしを観察していますし、誰かに愚痴ろうとも、皆元凶教授の、試験でのしかいし。を恐れて本音を言いませんし、却って告げ口したりするからです。まるでカンシュコフです。
元凶教授は、金を包んだ子弟は例え8点くらいでも通すくせに、気に入らない外人学生は4回連続、同じ試験で落としたりするのです。4回と言ったら、2年間落ちっぱなし。ということです。
すると、いろいろなストーリーの夢を見るようになりました。たいてい亡くなった母が出てきました。そして夢分析すると、もっと勉強しないと。大事なことを忘れてない?初心に帰りなさい。と説教される夢なのでした。
わたしは精神的に疲れ果てました。 激怒と孤独と悲しみとはこんなにも人間を消耗させるのか。と思いました。周りのだれも、信用できませんでした。あともう1,2か月、あの状態が続いたら発狂していたかもしれません。

↑中の人は違うけれど、檻の中のiwamula.こんなイメージ。
誰か、この砂漠の牢獄から出してくれないかな、…と思いながら、名医先生との約束の1か月が近づいたので、わたしは仮釈放される気分でいそいそと旅支度をしたのでした。
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け、警告はしたからね!
ということで。時は再び8月上旬にさかのぼる。
転校したかった名医先生の大学に1年生からはちょっと…。落した3科目通ってから来てよ。と言われたので、不承不承じゃーむながーるに戻ったiwamulaでしたが、当然、やる気がないつまらない科目ばかりだったのでやる気が出ない。
怒涛のただひたすら暗記暗記暗記。が要求されるサンスクリット語、それって歴史というよりは神話やん。という、あんまし中身のない医史学、これもかなり、アーユルヴェーダに関するところを無理やり集めて教科書にしました。な苦しい感が漂う哲学。
でも通ればまだ万が一でも転校の可能性があるし。ということで嫌々過去問の分析から始めましたが、去年(iwamulaが受けて落ちたやつ)はやはりダントツに難しいので、調べていてもわからない。
担当の先生に聞きに行きましたが、担当の先生もわからない。ちょっと調べてくるわね。と言っていて、翌日、翌々日、よくよく翌日、と3回くらい聞いたけれどもまだわからない。超難しい問題というかマニアック問題。
担当教官がわかんないってどういうこと!?と思いましたが、それでも不適切ではない、やさしい問題だ。と言い張る担当教官。 だったら何で4割しか通らないわけ?あんたの教え方が悪いんでしょーが。と喉まで出かかるも、時は戻せない。怒りを呑み込んだままそうですか、と引き下がる。
サンスクリット語に至っては、正月休みに先生が交通事故で亡くなられたので、先生不在。急遽下の学年にあてがわれた先生はもともと、ジモティ用。つまり、英語が不自由でおられるので、昨日Aと説明したことを今日はBだった、と言ったりこちらの質問がわからなかったり、とコミュニケーションが難しいレベル。
面識がないうえにそんな英語力のない先生じゃどーしようもない。
と思って、かつての同級生、唯一全教科合格学年トップ君。が、じゃーむながーるに戻ってきたとき、「何か助けが必要なら恥ずかしがらないで言ってね」と言ってくれたのでその言葉を頼りに恥を忍んで彼に聞きに行くも
「忘れた」
の一言。他の、追試で通った元同級生二人も「忘れたわ」「それ、何の科目?」という始末。
すぐ上の学年の学年トップさん。に聞いたら。というも、あなたたちが覚えていない科目を、2年生の試験の科目の暗記ですっかりサンスクリット語なんて流れ去ったと思われる、さらに上の学年に聞いてわかるわけないでしょうが、フツーに考えて。
というわけで、白人の皆さんはすぐ「何かあったら助けるよ」と気軽に言う割にはいざとなると全く助けにならない、要するに社交辞令だったんだね。ということでかなり落胆、失望して帰宅し…ようとしたところ、問題の元凶、iwamulaの学年にわざと難しい出題、厳しい採点シフトを組んでiwamuraを落とした教授が現れた。
「すべて順調かい?」
はァ?あんた馬鹿? 母親死んで2か月で元気ぴんぴんになる奴がどれくらいいる? 誰のせいでこんなところでこんなことしてると思ってんの?
とキレそうになるのを眉をひそめて顔を引きつらせて嫌そうな雰囲気を漂わせて「いいえ」というのが精いっぱいでした。
部屋に戻ってからも自分の非を認めない担当教官や元同級生や元凶教授への怒りではらわたが煮えくりかえっていました。
かと思うと、こんなクソ大学でこんなダメダメ状態になって、それで母親に心配かけて、わたしが殺したようなものだ、と急に激しい悲しみに襲われて声をあげて泣きました。
その日は泣いたり怒ったりで忙しくてあまりよく眠れませんでした。
日本人の先輩に愚痴りましたが、もうその元凶教授の友達が主催する日本校の講師に就職が決まっているという先輩はもうあちら側の人間ということでしょう、たった一言(やな奴だよね、というわたしの言に)ウン、と言って欲しかっただけなのに、担当教官も板挟みのストレスでお腹痛いみたいだよ、と遠慮しながらわたしに言っただけでした。
他の日本人の先輩は、例の学年トップ君は、毎日試験の後、元凶教授の所に通って今日の試験は難しかった、ってアピールしてたのを友達が目撃していたよ。そのアピールのおかげで彼一人通ったんじゃない?
と失礼なことを言っていました。学年トップ君は、すごい勉強量でした。1か月前の準備試験で、トップの生徒がサンスクリット語で60点越えをした学年なんて今までありません。日本の点数とインドの点数とはちょっと感覚が異なりますが、
日本の90点~100点 = インドの80点以上
日本の80点~90点 = インドの70点以上
日本の70点~80点 = インドの60点以上
日本の60点~70点 = インドの50点以上
な感じです。インドは、決して学生に90点台や100点は出しません。先生の権威を守りたいからでしょうか。
そしてたいていの外国人学生は50点台がやっとです。60点出すとお、できるねえ。という感じで、70点超えは、もう州で何番、くらいの超優秀なイメージです。
わたしの学年の学年トップ君がいかに優秀だったかおわかりいただけると思います。
ちなみに、インド人はとても嫉妬深いので、人種差別もあります。どうやら、外国人に良い成績を取られるのが癪みたいです。だから、すぐ上の学年の学年トップさんは、50代エンジニア、アメリカ系インド人のおじさんですが、彼は89点で伝説の最高得点となりました。先生のお気に入りで、礼儀正しい、インド人の彼に最高得点を取らせたかったのでしょう。
が、彼の学年の問題はとても優しかったのと、彼はインド人ですからヒンディーができるので、ヒンディーの教科書(英訳されてない)を直接読める有利な点があったことを考えると、わたしはうちの学年の学年トップ君のほうが実力や勉強量は上だったんじゃないかと思っています。
話が逸れました。
つまり、うちの学年のトップ君が難しい、と訴えるレベルだったのに、そしてそれを少なくとも試験の日にはその元凶教授は知っていたはずなのに、結果発表になって試験が難しすぎる。質問もできなかった。と抗議したわたしに、
「わたしも結果が発表されて初めて今年の試験がこんなに難しかったと知ったんだよ。(問題の難易度を調整する)コーディネーターがいなかったなんて知らなかった。」
とぬけぬけと抜かしたのです。つまり嘘をついていたということです。コーディネーター云々は、たぶん語るに落ちる。で、わたしはそんなことは知らないし聞いてもいないのに余計な事を言ってますから、たぶん彼の命令でコーディネーターに問題の難易度の調整はするな、とでも言ったのでしょう。他の試験官にも、採点は思いっきり厳しく。とでもいったのでしょう。
そもそも、去年は変なことばかりでした。この1か月前の準備試験で、先輩達は、名前だけ書いて10分で出てきてしまう、準備とは名ばかりの試験で、だからどの学年のどの生徒も、合格点の50点以上取る生徒なんていません。0点のオンパレードです。
それが普通だったのに、去年は、なるべくよい点を取らないと本試験を受けさせない。とか、時間ぎりぎりまでがんばりなさい。と言われていました。
その意図など知らず、できる生徒たちはそのとおりにしていました。だからかなりの科目で、50点超えの生徒がちらほらいました。
つまり、わたしたちの学年がとても真面目で他の学年より優秀であることをあらかじめ知っていた元凶教授は、この準備試験でわたしたちの実力を測り、本試験でそれをもっと上回る難易度であるとか、過去問の傾向を外した出題にしてでも、点数で報復するために、意図的に落そうとした、と考えられます。
それが、解剖の先生が授業に現れないから、変えてくれ。と何度頼んでもらちが明かないので、学長→副学長→元凶教授、の順に頼みに行ったことの、わたしたちへの報復だというのですから、教師の風上にも置けないチ〇カス野郎です。
こんなことで恐怖政治を敷くことしかできない、小心者のチン〇ス野郎のせいで、わたしは2年生になれず、いつまで経っても臨床の勉強ができないのです!!!!
怒りと悲しみのせいか、胆嚢のあたりが重く張って苦しくてなかなか寝付けない日もありました。
たったひとつ上の学年はもう新3年生になって白衣を着て病院実習に行っていますし、元同級生たちは、また薬草学の先生がいないの。と暗い顔をしつつも2年生の勉強をしています。わたし一人、監獄に押し込められていつまでもつまらない1年生に取り残されているいるみたいだ。と強く思いました。
わたしは他の学生を見るのがつらかったのと、誰にもこの怒りと悔しさと悲しさは理解してもらえないんだ。と思い、他人との接触を絶って自然と砂漠の監獄のような寮の自室に引きこもるようになりました。
外に出ると、元凶教授のスパイがじっとわたしを観察していますし、誰かに愚痴ろうとも、皆元凶教授の、試験でのしかいし。を恐れて本音を言いませんし、却って告げ口したりするからです。まるでカンシュコフです。
元凶教授は、金を包んだ子弟は例え8点くらいでも通すくせに、気に入らない外人学生は4回連続、同じ試験で落としたりするのです。4回と言ったら、2年間落ちっぱなし。ということです。
すると、いろいろなストーリーの夢を見るようになりました。たいてい亡くなった母が出てきました。そして夢分析すると、もっと勉強しないと。大事なことを忘れてない?初心に帰りなさい。と説教される夢なのでした。
わたしは精神的に疲れ果てました。 激怒と孤独と悲しみとはこんなにも人間を消耗させるのか。と思いました。周りのだれも、信用できませんでした。あともう1,2か月、あの状態が続いたら発狂していたかもしれません。
↑中の人は違うけれど、檻の中のiwamula.こんなイメージ。
誰か、この砂漠の牢獄から出してくれないかな、…と思いながら、名医先生との約束の1か月が近づいたので、わたしは仮釈放される気分でいそいそと旅支度をしたのでした。
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