Japaayurveda
日本人の、日本人による、日本のためのアーユルヴェーダのつもりが今のところ只の雑文録。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「ネット・バカ ― インターネットがわたしたちの脳にしていること」
常々自分のインターネット中毒は何とかならないか。と思っていたわたしは、週刊誌の書評でこの本を見つけ、そのタイトルのインパクトから早速購入しました。ネット中毒を治す一助になればと思ったのです。
しかしその内容はわたしの想像をはるかに超えていました。 今年一番わたしの知的好奇心を満たしてくれて、読む価値があった。と思った本です。
パソコンの前身(?)ワープロや、パソコンのワープロソフトが世に出てから、それらを常用して文書作成する人で、「漢字が書けなくなった」と思わない人は多分いないと思います。変換キーを押すだけで自動的に候補が現れる作りですから、見て判別できれば良いわけで、綴りを正確に覚える必要がないからです。
これと同種の退行を、ネットは人間の脳に行っている。という話です。
記憶力、集中力、深い思索のみならず、人間が人間たる所以、他者への共感、同情といった高度な精神機能まで犯され、代わりに一度に多くのことをこなす能力―今ネット時代の人が普通に幾つものウィンドウを開いたままでメールやツイートのフォローをし、検索し、音楽やモノを通販で買い、…といった、主に視覚運動機能は鍛えられるものの、その代償として先に挙げた能力が劣るようになるというのです。
1冊の分厚い本(「戦争と平和」が例に挙げられています)が、文学部の学生ですら読み終えることが出来なくなる(ほどの集中力の喪失、注意力散漫)……これも、ネット使用の代償だったのです。
ちなみにこの本は分厚いハードカバーですが、最初の頃は、自分のことを読書好き。という認識だったわたしでさえ、少し読んでは考えが脱線し、少し読んでは休憩し、…となかなか内容にのめりこめませんでした。
それもわたしがネット中毒だったからなのだ、と愕然としました。
が、読み進むうちに、だんだん脳が「集中して黙読する」モードに入ったらしく、長い機内を退屈せずに過ごすことができました。
様々な脳生理学、心理学の研究で実例を挙げてこの事実を述べていく有様に、わたしは戦慄しました。
印象に残った箇所を少し箇条書きにしてみます。
★人が後天的に盲目になった場合、脳の中の視覚刺激を処理していた部分、視覚野は、機能することを止めてしまうわけではなく、その部分はただちに、聴覚処理を行う回路に乗っ取られることになる。「ニューロン(神経細胞)は(情報の)インプットの受け取りを『欲して』いるかのようだ。いつものインプットがなくなってしまうと、二番目に良いものに対して反応し始める。」
★ピアノ演奏経験のない人を集め、シンプルな短いメロディの弾き方を教えた。それからその集団を二つに分け、一方には1日2時間×5日間、実際にピアノに向かってこのメロディを弾く練習をしてもらった。 別のグループには、同じ時間だけピアノに向かうものの、鍵盤を叩きはせず、このメロディを弾くイメージだけを思い浮かべるようにしてもらった。実験の前、最中、後。でこの二群を経頭蓋磁気刺激法で脳をマッピングしたところ、実際に鍵盤を叩いていたグループと同じ脳の変化がイメージ練習群にも現れた。
つまり、彼らの脳は、純粋に想像の中だけで起こっていたアクションに応じて変化していた、言い換えれば彼らの思考が脳に物理的影響を及ぼしうる。
★可塑的であるとは弾力性があるということではないのだ。われわれの神経ループは、輪ゴムのように元に戻ったりはしない。変化したあとの状態にしがみつく。そして、新しい状態は必ず望ましい状態であると、保証してくれるものは何も無い。悪しき習慣も、良い習慣と同じくらい容易にニューロンにしみつきうる。
★ネット初心者の被験者に、1日1時間ネット検索を行ってもらった。ネット使用を始めてわずか5日で、インターネット初心者たちの前頭前野が、熟練したネットサーファーと同様、活発な活動を見せるようになった(実験前には初心者たちの脳のこの部位の活動は、認められていなかった)。
1日1時間コンピュータに向かっていただけでこのような変化を見せるほど、脳の反応が敏感なものであるならば、それ以上の時間ネットに接続していれば、どんな結果が生じるだろうか。
★我々は集中すべき対象がどんなものか、記憶しておかねばならないので、認知的負荷が大きくなれば、注意散漫状態も増幅される。脳に過大な負担がかかっていると、情報は維持できなくなり、すでに長期記憶に保存されている情報との関連付けもできなくなる。われわれの学習能力は損なわれ、理解は浅いものとなる。
★頻繁な中断(新着メールがありますよ、とかお気に入りのブログが更新されましたよ、といったお節介なアラームたち)は思考を断片化し、記憶力を弱め、我々を緊張して落ち着かない状態にさせる。行っている思考の脈絡が複雑であるほど、その注意散漫状態がもたらす損害は甚大になる。
★…デジタル書籍の将来市場における権力を、グーグル社に多大に持たせてしまうものだ。デジタル情報の普及を商業的にコントロールすることは、必然的に、知のフローの制限につながるのではないかという不安である
★グーグルブック検索をめぐる論争は、著作権法の精神と文面をデジタル時代に適応させるにはまだ時間がかかることを明るみに出している。この論争はまた、グーグル社の高邁な理想と、それを追及する際に同社がしばしば取る高圧的な手法について、多くのことを教えてくれる。グーグル社は、みずからの善良さを心から信じているのだが、その信念は企業倫理、反競争、カスタマー・サーヴィス、および社会における同社の位置に関し、独自に設定したルールを正当化するものだ。
(この部分は、わたしが漠然と感じていたグーグルに関する胡散臭さを端的に述べてくれた箇所であります。
江戸取特待生の経験のおかげで、「タダより怖いものはない」がなんか染み付いているんですよね。検索サービスとか、メールサービスとか、無料なんだけれど、その代償は、何!?みたいな。
今でも、「グーグル社 闇」といったワードで『ぐぐって』も、当たり前かもしれませんが、ろくな情報はヒットしない。商業ベースにする情報を意図的に偏らせたり、制限したりできるのでは、…という懸念は、同社が民間であり、『完璧なものはこの世に何一つない』以上、当然のものです。
皆無邪気にグーグルのサービスを信頼しているけれど、正直わたしはメールの中の単語も、全て解析されているんじゃないかと思って、メインメールアドレスは今gmailだけれど、ちょっと薄気味悪さを感じていて、変えようと思ったことがありましたが、gmailを上回る無料サービスフリーメールは見つけられずに、忙しかったのもあって断念したという経緯があります。
ストリートビューとか、便利である以上に立派にプライバシーの侵害だと思うんですが、相手の同意を得ない、コンセンサスの形成を見ないままどんどん勝手に進めちゃう、それを自分達は善かれと思ってやっているから、本当は始末が悪い、結構怖い会社だと思うんです。)
★記憶が脳内に定着する、もしくは「固まる」ためには、およそ1時間ほどが必要である
★反復は(記憶の)固定化を促進する
★精神疲労に関する試験で、被験者を二群に分け、一方には休憩時間に喧騒から離れた森林公園を歩いてもらい、もう一方にはダウンタウンのにぎやかな通りを歩いてもらった。休憩後、もう一度テストを受けてもらうと、森林公園の中で過ごした群は、ダウンタウン組と比べ、認知テストの成績を格段に上げた、つまり注意力を相当増大させることがわかった。
★集まった被験者たちに、人が肉体的、心理的苦痛を経験する話を聞いてもらう。それから被験者たちをMRIにかけ、脳をスキャンしながら質問を行い、話を思い出してもらう。すると、肉体的苦痛に対しては、脳は非常にすばやく反応する。誰かが怪我をするのをみると、脳内の痛覚中枢はほとんど即座に活性化されるのに対し、心理的苦痛に共感するというもっと複雑な精神プロセスは、はるかに緩慢に展開されることが明らかになった。つまり注意散漫になればなるほど、われわれは最も微妙で、最も人間独特のものである感情形態、すなわち共感や同上などを、経験できなくなっていくということである。
わたしたちはまだ、「PCの無かった」時代を知っている世代です。漢字の書き取りとか、読書感想文とか、小論文とか、文章を読んだり書かされることが多い学生時代を過ごしました。
それに引き換え、現代の、「最初からPC]がある若者世代の脳は一体どうなってしまうんだろう、と恐ろしさを覚えずにいられません。「キレやすい」「他者への共感、想像力に乏しい」「少しでも長い文章は母国語でも目が滑って読めない」といった、エイリアンのように思える若者の特性が、ネットが脳に解剖学的、生理学的変化を起こしてのことだったのなら納得がいきます。
まあでも、この本の著者も、自身が重度のネットアディクションであり、もうネットがない頃には戻れない(この本の執筆のためには一時的にネット絶ちをして、田舎の山小屋にこもって書いたらしいが書き終えてからは都会のネット環境に舞い戻ってしまい、その便利さと魅力には抗えない。と正直に書いています。
最初、この人の文章も、ちょっとネット世代ぽい?と思いながら読んでいました。
たくさんの生理学や心理学の実験の論文やら、地図、本の歴史書やら、引用は多岐多用、多種に渡ります。いずれも、ネット無しでは入手は容易ではなかったことでしょう。
そしてその全てを(引用元は明記されていますが)読んで、彼が本当に論文の意図を正しく知って引用して書いているのかを確かめることは、わたしには経済的、時間的にできません。彼自身、多分アブストラクトを読んで必要な箇所だけしっかり読んで、いわゆる「斜め読み」をして書いた。と書いていますから、自分の主張(ネットをするとバカになる)に合致した部位だけ、全体を見ないでつまみ食いして書いて、本来の論文の意図とは違う紹介の仕方をしている可能性は否定できません。
まあ、だから、この本の「実験」や「引用」の6~7割が正しい。と割り引いて読んだしても、恐ろしい内容であることには変わりありません。
わたしは、作者とは違ってアナログ人間に戻ろう、と思いました。
なぜならわたしがなりたいのはアーユルヴェーダの名医、ホンモノの名医は多分PCには指1本触れておらず、代わりに、触れたボールペンがいつどこで作られどのように販路にのってわたしの手元に来たか。を類稀なる「集中力」でもってわかってしまうすごい人だからです。
わたしが目指すこの先生のような、「すさまじいまでの集中力」と、このネットを行う結果起きる、脳の解剖学的、機能的変化はわたしが望まない、真逆の変化です。
というわけでこのブログもこれでいったんおしまいにしようと思います。始めたばかりで何だよぅ!!!という感じですが。
アナログに戻る!宣言をしたからには、文章は自分の手で書かねばなりませんから。
でも将来、気が変わったり、何かを強烈に伝えたくなるかもしれないので、一応ツールとして、存在は残しておこうと思います。
それでは皆様ご機嫌よう。
PR
相変わらず砂漠の監獄で試験勉強しかすることのない日々です。
とうとう(当地にしては)長い雨季が9月中旬で終わったので、もうあとは
じりじりじりじりじりじりじりじり暑くなる一方です。来年の6月までもう一滴も
雨は降らないので、今は緑の木々も、時期に土埃で真っ白になることでしょう。
雨季の前に春からいきなり夏本番(40~50度)となり、その後雨季となり
(20度~30度)、秋に再び暑くなる(30度~40度)、という点が、お彼岸を
過ぎると涼しくなる一方の日本の四季とは大いに異なります。
幸いわたしの独居房には冷房が付いているので20度台で発狂すること
なく勉強できていますが(停電しない限り)、古い独房にはついていないので、
そして大抵の外のアパートにもついていないので、他の学生はさぞ暑いだろうと
思います。
さて、難しい言語のひとつ、サンスクリット語を勉強していましたが、参考書に
内容だけ書いてあって、その超短縮型暗号のような条文。が見当たらない項目に
出くわしました。
日本語の参考書を見ましたが、同じ内容が書いてあります。
でも条文一覧ブックを見ても、それに相当する条文は書いてありません。
本当にそんな条文があるのかどうか、確かめる術がありません。
サンスクリット語の受け持ちの先生は亡くなられてしまったし、質問できる人がいなくて
困った。
と思ったわたしは、ダメ元で、日本語の参考書の著者宛てに、出版社にメールを出しました。
お宅のこの本のほにゃページにこれこれ書いてあるけれど、これに相当する条文を
教えてください。今インドで10月の試験に向けてお宅の本と共に勉強してるんです。
と書いて送りました。
数日間、返事はありませんでした。今まで、アーユルヴェーダ関連の本で2,3回、読んでいて
疑問に思ったところ、誤植ではないかと思うところなどを出版社に指摘したことがありますが
返事が来たことは一度もありません。
だから、正直期待はしていませんでした。そこを飛ばして勉強していたある日、メールボックス
に出版社からの返事が来ていました。
著者に確認しましたところ、このような返事が来たので添付します。
ということで添付ファイルは、わたしのPCでは開けないタイプだったので、しばらくネットで
ググってフリーソフトをナロウバンド環境下で5時間以上かけてダウンロードしたりして
頑張りましたが開けず、結局Mac userの姉に頼んで開いてJPEGにして添付しなおして
もらいました。
『 iwamula様
××××(参考書の名前)をご利用いただき、ありがたく存じます。
インドにてLaghusiddhaantakaumudiiをテキストとしてサンスクリットを学習されて
おられるご様子、インドの伝統的な方法でサンスクリットを学ぶのは極めて有意義
だと思います。
さて、ご質問のnの反舌音化についてですが…(中略)
…以上、私のわかる範囲で、ご質問にお答えしました。ご精進をお祈りします。
△☆□▼◇(署名)』
という内容でした。
比較的すみやかに著者ご本人が(東洋大学の元学長先生なのです)お返事下さった
こと、日本語の美しいこと、励まして下さったこと、など、まともに返事をもらったことが
初めてだったこともあってとても感激しました。
是非受かってご厚意に答えたいものです。
そんなわけで11月まで更新はお休みします。

とうとう(当地にしては)長い雨季が9月中旬で終わったので、もうあとは
じりじりじりじりじりじりじりじり暑くなる一方です。来年の6月までもう一滴も
雨は降らないので、今は緑の木々も、時期に土埃で真っ白になることでしょう。
雨季の前に春からいきなり夏本番(40~50度)となり、その後雨季となり
(20度~30度)、秋に再び暑くなる(30度~40度)、という点が、お彼岸を
過ぎると涼しくなる一方の日本の四季とは大いに異なります。
幸いわたしの独居房には冷房が付いているので20度台で発狂すること
なく勉強できていますが(停電しない限り)、古い独房にはついていないので、
そして大抵の外のアパートにもついていないので、他の学生はさぞ暑いだろうと
思います。
さて、難しい言語のひとつ、サンスクリット語を勉強していましたが、参考書に
内容だけ書いてあって、その超短縮型暗号のような条文。が見当たらない項目に
出くわしました。
日本語の参考書を見ましたが、同じ内容が書いてあります。
でも条文一覧ブックを見ても、それに相当する条文は書いてありません。
本当にそんな条文があるのかどうか、確かめる術がありません。
サンスクリット語の受け持ちの先生は亡くなられてしまったし、質問できる人がいなくて
困った。
と思ったわたしは、ダメ元で、日本語の参考書の著者宛てに、出版社にメールを出しました。
お宅のこの本のほにゃページにこれこれ書いてあるけれど、これに相当する条文を
教えてください。今インドで10月の試験に向けてお宅の本と共に勉強してるんです。
と書いて送りました。
数日間、返事はありませんでした。今まで、アーユルヴェーダ関連の本で2,3回、読んでいて
疑問に思ったところ、誤植ではないかと思うところなどを出版社に指摘したことがありますが
返事が来たことは一度もありません。
だから、正直期待はしていませんでした。そこを飛ばして勉強していたある日、メールボックス
に出版社からの返事が来ていました。
著者に確認しましたところ、このような返事が来たので添付します。
ということで添付ファイルは、わたしのPCでは開けないタイプだったので、しばらくネットで
ググってフリーソフトをナロウバンド環境下で5時間以上かけてダウンロードしたりして
頑張りましたが開けず、結局Mac userの姉に頼んで開いてJPEGにして添付しなおして
もらいました。
『 iwamula様
××××(参考書の名前)をご利用いただき、ありがたく存じます。
インドにてLaghusiddhaantakaumudiiをテキストとしてサンスクリットを学習されて
おられるご様子、インドの伝統的な方法でサンスクリットを学ぶのは極めて有意義
だと思います。
さて、ご質問のnの反舌音化についてですが…(中略)
…以上、私のわかる範囲で、ご質問にお答えしました。ご精進をお祈りします。
△☆□▼◇(署名)』
という内容でした。
比較的すみやかに著者ご本人が(東洋大学の元学長先生なのです)お返事下さった
こと、日本語の美しいこと、励まして下さったこと、など、まともに返事をもらったことが
初めてだったこともあってとても感激しました。
是非受かってご厚意に答えたいものです。
そんなわけで11月まで更新はお休みします。
ロス祭り(?)継続中。これは博士最後の著作で、デーヴィッド・ケスラーさんという、お弟子さん(?)的ポジションの人との共著でもあります。
この単行本の表紙が美しくて欲しかったのですが、もう中古しかないみたいで、場所も取るし。と思い直して実際に買ったのは角川文庫のほうです。
人生は魂の修行の場。というスタンスの博士が、自身やかつて受け持った患者のケースでもって、人生で直面する様々な課題―愛、人間関係、喪失、罪悪感、恐れ、怒り、忍耐、許し、遊び、等々―について語る。というものです。
読んでいて、イマイチ、これまで読んだ自伝を含めた4作に比べ、集中力が持続しないというか、あんまりのめりこめない。おかしいな?と思っていました。
それぞれの課題について、ケスラーさんが自分の経験や自分の患者の経験。ロス博士が同じく自分の経験や患者の経験。について語る。という形式をとっていて、長さは自由なので、ほとんどロス博士の文章の章でケスラーさんの文はほんの少しだったり、逆にケスラーさんがかなり語って長かったり、と二人の文章が交互…でもないですが、混ざって出てきます。
後半のほうで、これがのめりこめない原因だ、と思いました。
わたしは英語は出来ないほうですけれども、英語だって、日本語の「書き言葉」に個性が出るように、論理の展開の仕方、単語の選び方、たたみ掛けるような話し方、など個性はあるでしょう。
ロス節一辺倒じゃなくて、このケスラーさんの話。がいちいち合間に入るから、どうもスピードに乗れない、というかのめりこめないのだ、とわかりました。
この人も悪い人じゃなさそうなんですが、例え本が半分の厚さになっても、ケスラーさんのパートを入れないで、ロス博士のパートだけにして出版すれば良かったのに。とちょっと思いました。
とまあ、読んでいて少し前作と比べると不満はあったものの、後半に行くに従い、心は凪いできました。
そのレッスンにまさに直面しているときは身にしみて読めるでしょうし、自分がこんなことまで魂磨きのレッスンとは思わなかった(遊びのレッスンなど)レッスンについては、それを意識する良いきっかけになるでしょう。
手元において何度も時期を改めて読み直すには文庫のほうがよいのかな、と思いました。
今回一番心に響いて過去四著にも出てこなかったエピソードとしては以下が挙げられます。
……第六章 罪悪感のレッスン より……
エレンは15歳で妊娠してしまい、罪の意識と恥辱に苛まれた家族はエレンを隔離して出産させ、生まれた娘を養子に出す決意をした。
45年後、死の淵にあったエレンが書いた、会ったことのないこの最初の娘への手紙。
『あなたがこの手紙を読むとき、わたしはたぶんこの世にいないでしょう。
わたしは自分の人生に満足しています。
でも、あなたがそばにいないことだけが、いつも気がかりでした。罪の意識を忘れたことはありません。
あなたに会うべきではないとわかっていながら、せめて、もしあなたがわたしに会いたいとすれば、会える手筈だけは整えておこうなどと思ったこともあります。
でも、もう時間がありません。最後にこの手紙だけは残しておきたいのです。
たとえどんなに不公平な人生でも、力のかぎり生きる道さえ見つけることができれば、死ぬときに価値ある死にかたができます。
それがむずかしいことははわかっています。
わたしは若いときに不公平な人生に巻き込まれてしまいましたが、あなたの人生はまだこれからです。
価値を見つけることができます。完璧じゃなくていい、価値があればいいのです。
あなたはわたしに必要とされていた。それを知ってほしいのです。あなたを手放したいなんて思ったことは一度もありません。
ある意味で、わたしはあなたを手放してはいないのです。
どうかいい人生、意味のある人生を送って下さい。
もし天国があるのなら、わたしは天国からあなたを見守り、あなたが死ぬまであなたを守ります。
あなたにその時が来たら、きっと会いましょうね。
それだけが願いです』
奇しくも、うちの母の最期の言葉と一部被っていたので、泣けて仕方ありませんでした。
ちなみにこの手紙はエレンの死後家族によって発見され、ラジオで話題となり、娘かもしれないと名乗り出た女性はDNA鑑定で、生き別れた娘さんだと証明されたそうです。
以前消したブログの最後のエントリーを忘れてしまいました。なので重複していたらスミマセン。でございますが、これを書かないと話が繋がらないので、面白くなくて重くて暗い話ですが書きます。なので読みたくない人はここでUターンよろしく。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
け、警告はしたからね!
ということで。時は再び8月上旬にさかのぼる。
転校したかった名医先生の大学に1年生からはちょっと…。落した3科目通ってから来てよ。と言われたので、不承不承じゃーむながーるに戻ったiwamulaでしたが、当然、やる気がないつまらない科目ばかりだったのでやる気が出ない。
怒涛のただひたすら暗記暗記暗記。が要求されるサンスクリット語、それって歴史というよりは神話やん。という、あんまし中身のない医史学、これもかなり、アーユルヴェーダに関するところを無理やり集めて教科書にしました。な苦しい感が漂う哲学。
でも通ればまだ万が一でも転校の可能性があるし。ということで嫌々過去問の分析から始めましたが、去年(iwamulaが受けて落ちたやつ)はやはりダントツに難しいので、調べていてもわからない。
担当の先生に聞きに行きましたが、担当の先生もわからない。ちょっと調べてくるわね。と言っていて、翌日、翌々日、よくよく翌日、と3回くらい聞いたけれどもまだわからない。超難しい問題というかマニアック問題。
担当教官がわかんないってどういうこと!?と思いましたが、それでも不適切ではない、やさしい問題だ。と言い張る担当教官。 だったら何で4割しか通らないわけ?あんたの教え方が悪いんでしょーが。と喉まで出かかるも、時は戻せない。怒りを呑み込んだままそうですか、と引き下がる。
サンスクリット語に至っては、正月休みに先生が交通事故で亡くなられたので、先生不在。急遽下の学年にあてがわれた先生はもともと、ジモティ用。つまり、英語が不自由でおられるので、昨日Aと説明したことを今日はBだった、と言ったりこちらの質問がわからなかったり、とコミュニケーションが難しいレベル。
面識がないうえにそんな英語力のない先生じゃどーしようもない。
と思って、かつての同級生、唯一全教科合格学年トップ君。が、じゃーむながーるに戻ってきたとき、「何か助けが必要なら恥ずかしがらないで言ってね」と言ってくれたのでその言葉を頼りに恥を忍んで彼に聞きに行くも
「忘れた」
の一言。他の、追試で通った元同級生二人も「忘れたわ」「それ、何の科目?」という始末。
すぐ上の学年の学年トップさん。に聞いたら。というも、あなたたちが覚えていない科目を、2年生の試験の科目の暗記ですっかりサンスクリット語なんて流れ去ったと思われる、さらに上の学年に聞いてわかるわけないでしょうが、フツーに考えて。
というわけで、白人の皆さんはすぐ「何かあったら助けるよ」と気軽に言う割にはいざとなると全く助けにならない、要するに社交辞令だったんだね。ということでかなり落胆、失望して帰宅し…ようとしたところ、問題の元凶、iwamulaの学年にわざと難しい出題、厳しい採点シフトを組んでiwamuraを落とした教授が現れた。
「すべて順調かい?」
はァ?あんた馬鹿? 母親死んで2か月で元気ぴんぴんになる奴がどれくらいいる? 誰のせいでこんなところでこんなことしてると思ってんの?
とキレそうになるのを眉をひそめて顔を引きつらせて嫌そうな雰囲気を漂わせて「いいえ」というのが精いっぱいでした。
部屋に戻ってからも自分の非を認めない担当教官や元同級生や元凶教授への怒りではらわたが煮えくりかえっていました。
かと思うと、こんなクソ大学でこんなダメダメ状態になって、それで母親に心配かけて、わたしが殺したようなものだ、と急に激しい悲しみに襲われて声をあげて泣きました。
その日は泣いたり怒ったりで忙しくてあまりよく眠れませんでした。
日本人の先輩に愚痴りましたが、もうその元凶教授の友達が主催する日本校の講師に就職が決まっているという先輩はもうあちら側の人間ということでしょう、たった一言(やな奴だよね、というわたしの言に)ウン、と言って欲しかっただけなのに、担当教官も板挟みのストレスでお腹痛いみたいだよ、と遠慮しながらわたしに言っただけでした。
他の日本人の先輩は、例の学年トップ君は、毎日試験の後、元凶教授の所に通って今日の試験は難しかった、ってアピールしてたのを友達が目撃していたよ。そのアピールのおかげで彼一人通ったんじゃない?
と失礼なことを言っていました。学年トップ君は、すごい勉強量でした。1か月前の準備試験で、トップの生徒がサンスクリット語で60点越えをした学年なんて今までありません。日本の点数とインドの点数とはちょっと感覚が異なりますが、
日本の90点~100点 = インドの80点以上
日本の80点~90点 = インドの70点以上
日本の70点~80点 = インドの60点以上
日本の60点~70点 = インドの50点以上
な感じです。インドは、決して学生に90点台や100点は出しません。先生の権威を守りたいからでしょうか。
そしてたいていの外国人学生は50点台がやっとです。60点出すとお、できるねえ。という感じで、70点超えは、もう州で何番、くらいの超優秀なイメージです。
わたしの学年の学年トップ君がいかに優秀だったかおわかりいただけると思います。
ちなみに、インド人はとても嫉妬深いので、人種差別もあります。どうやら、外国人に良い成績を取られるのが癪みたいです。だから、すぐ上の学年の学年トップさんは、50代エンジニア、アメリカ系インド人のおじさんですが、彼は89点で伝説の最高得点となりました。先生のお気に入りで、礼儀正しい、インド人の彼に最高得点を取らせたかったのでしょう。
が、彼の学年の問題はとても優しかったのと、彼はインド人ですからヒンディーができるので、ヒンディーの教科書(英訳されてない)を直接読める有利な点があったことを考えると、わたしはうちの学年の学年トップ君のほうが実力や勉強量は上だったんじゃないかと思っています。
話が逸れました。
つまり、うちの学年のトップ君が難しい、と訴えるレベルだったのに、そしてそれを少なくとも試験の日にはその元凶教授は知っていたはずなのに、結果発表になって試験が難しすぎる。質問もできなかった。と抗議したわたしに、
「わたしも結果が発表されて初めて今年の試験がこんなに難しかったと知ったんだよ。(問題の難易度を調整する)コーディネーターがいなかったなんて知らなかった。」
とぬけぬけと抜かしたのです。つまり嘘をついていたということです。コーディネーター云々は、たぶん語るに落ちる。で、わたしはそんなことは知らないし聞いてもいないのに余計な事を言ってますから、たぶん彼の命令でコーディネーターに問題の難易度の調整はするな、とでも言ったのでしょう。他の試験官にも、採点は思いっきり厳しく。とでもいったのでしょう。
そもそも、去年は変なことばかりでした。この1か月前の準備試験で、先輩達は、名前だけ書いて10分で出てきてしまう、準備とは名ばかりの試験で、だからどの学年のどの生徒も、合格点の50点以上取る生徒なんていません。0点のオンパレードです。
それが普通だったのに、去年は、なるべくよい点を取らないと本試験を受けさせない。とか、時間ぎりぎりまでがんばりなさい。と言われていました。
その意図など知らず、できる生徒たちはそのとおりにしていました。だからかなりの科目で、50点超えの生徒がちらほらいました。
つまり、わたしたちの学年がとても真面目で他の学年より優秀であることをあらかじめ知っていた元凶教授は、この準備試験でわたしたちの実力を測り、本試験でそれをもっと上回る難易度であるとか、過去問の傾向を外した出題にしてでも、点数で報復するために、意図的に落そうとした、と考えられます。
それが、解剖の先生が授業に現れないから、変えてくれ。と何度頼んでもらちが明かないので、学長→副学長→元凶教授、の順に頼みに行ったことの、わたしたちへの報復だというのですから、教師の風上にも置けないチ〇カス野郎です。
こんなことで恐怖政治を敷くことしかできない、小心者のチン〇ス野郎のせいで、わたしは2年生になれず、いつまで経っても臨床の勉強ができないのです!!!!
怒りと悲しみのせいか、胆嚢のあたりが重く張って苦しくてなかなか寝付けない日もありました。
たったひとつ上の学年はもう新3年生になって白衣を着て病院実習に行っていますし、元同級生たちは、また薬草学の先生がいないの。と暗い顔をしつつも2年生の勉強をしています。わたし一人、監獄に押し込められていつまでもつまらない1年生に取り残されているいるみたいだ。と強く思いました。
わたしは他の学生を見るのがつらかったのと、誰にもこの怒りと悔しさと悲しさは理解してもらえないんだ。と思い、他人との接触を絶って自然と砂漠の監獄のような寮の自室に引きこもるようになりました。
外に出ると、元凶教授のスパイがじっとわたしを観察していますし、誰かに愚痴ろうとも、皆元凶教授の、試験でのしかいし。を恐れて本音を言いませんし、却って告げ口したりするからです。まるでカンシュコフです。
元凶教授は、金を包んだ子弟は例え8点くらいでも通すくせに、気に入らない外人学生は4回連続、同じ試験で落としたりするのです。4回と言ったら、2年間落ちっぱなし。ということです。
すると、いろいろなストーリーの夢を見るようになりました。たいてい亡くなった母が出てきました。そして夢分析すると、もっと勉強しないと。大事なことを忘れてない?初心に帰りなさい。と説教される夢なのでした。
わたしは精神的に疲れ果てました。 激怒と孤独と悲しみとはこんなにも人間を消耗させるのか。と思いました。周りのだれも、信用できませんでした。あともう1,2か月、あの状態が続いたら発狂していたかもしれません。

↑中の人は違うけれど、檻の中のiwamula.こんなイメージ。
誰か、この砂漠の牢獄から出してくれないかな、…と思いながら、名医先生との約束の1か月が近づいたので、わたしは仮釈放される気分でいそいそと旅支度をしたのでした。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
け、警告はしたからね!
ということで。時は再び8月上旬にさかのぼる。
転校したかった名医先生の大学に1年生からはちょっと…。落した3科目通ってから来てよ。と言われたので、不承不承じゃーむながーるに戻ったiwamulaでしたが、当然、やる気がないつまらない科目ばかりだったのでやる気が出ない。
怒涛のただひたすら暗記暗記暗記。が要求されるサンスクリット語、それって歴史というよりは神話やん。という、あんまし中身のない医史学、これもかなり、アーユルヴェーダに関するところを無理やり集めて教科書にしました。な苦しい感が漂う哲学。
でも通ればまだ万が一でも転校の可能性があるし。ということで嫌々過去問の分析から始めましたが、去年(iwamulaが受けて落ちたやつ)はやはりダントツに難しいので、調べていてもわからない。
担当の先生に聞きに行きましたが、担当の先生もわからない。ちょっと調べてくるわね。と言っていて、翌日、翌々日、よくよく翌日、と3回くらい聞いたけれどもまだわからない。超難しい問題というかマニアック問題。
担当教官がわかんないってどういうこと!?と思いましたが、それでも不適切ではない、やさしい問題だ。と言い張る担当教官。 だったら何で4割しか通らないわけ?あんたの教え方が悪いんでしょーが。と喉まで出かかるも、時は戻せない。怒りを呑み込んだままそうですか、と引き下がる。
サンスクリット語に至っては、正月休みに先生が交通事故で亡くなられたので、先生不在。急遽下の学年にあてがわれた先生はもともと、ジモティ用。つまり、英語が不自由でおられるので、昨日Aと説明したことを今日はBだった、と言ったりこちらの質問がわからなかったり、とコミュニケーションが難しいレベル。
面識がないうえにそんな英語力のない先生じゃどーしようもない。
と思って、かつての同級生、唯一全教科合格学年トップ君。が、じゃーむながーるに戻ってきたとき、「何か助けが必要なら恥ずかしがらないで言ってね」と言ってくれたのでその言葉を頼りに恥を忍んで彼に聞きに行くも
「忘れた」
の一言。他の、追試で通った元同級生二人も「忘れたわ」「それ、何の科目?」という始末。
すぐ上の学年の学年トップさん。に聞いたら。というも、あなたたちが覚えていない科目を、2年生の試験の科目の暗記ですっかりサンスクリット語なんて流れ去ったと思われる、さらに上の学年に聞いてわかるわけないでしょうが、フツーに考えて。
というわけで、白人の皆さんはすぐ「何かあったら助けるよ」と気軽に言う割にはいざとなると全く助けにならない、要するに社交辞令だったんだね。ということでかなり落胆、失望して帰宅し…ようとしたところ、問題の元凶、iwamulaの学年にわざと難しい出題、厳しい採点シフトを組んでiwamuraを落とした教授が現れた。
「すべて順調かい?」
はァ?あんた馬鹿? 母親死んで2か月で元気ぴんぴんになる奴がどれくらいいる? 誰のせいでこんなところでこんなことしてると思ってんの?
とキレそうになるのを眉をひそめて顔を引きつらせて嫌そうな雰囲気を漂わせて「いいえ」というのが精いっぱいでした。
部屋に戻ってからも自分の非を認めない担当教官や元同級生や元凶教授への怒りではらわたが煮えくりかえっていました。
かと思うと、こんなクソ大学でこんなダメダメ状態になって、それで母親に心配かけて、わたしが殺したようなものだ、と急に激しい悲しみに襲われて声をあげて泣きました。
その日は泣いたり怒ったりで忙しくてあまりよく眠れませんでした。
日本人の先輩に愚痴りましたが、もうその元凶教授の友達が主催する日本校の講師に就職が決まっているという先輩はもうあちら側の人間ということでしょう、たった一言(やな奴だよね、というわたしの言に)ウン、と言って欲しかっただけなのに、担当教官も板挟みのストレスでお腹痛いみたいだよ、と遠慮しながらわたしに言っただけでした。
他の日本人の先輩は、例の学年トップ君は、毎日試験の後、元凶教授の所に通って今日の試験は難しかった、ってアピールしてたのを友達が目撃していたよ。そのアピールのおかげで彼一人通ったんじゃない?
と失礼なことを言っていました。学年トップ君は、すごい勉強量でした。1か月前の準備試験で、トップの生徒がサンスクリット語で60点越えをした学年なんて今までありません。日本の点数とインドの点数とはちょっと感覚が異なりますが、
日本の90点~100点 = インドの80点以上
日本の80点~90点 = インドの70点以上
日本の70点~80点 = インドの60点以上
日本の60点~70点 = インドの50点以上
な感じです。インドは、決して学生に90点台や100点は出しません。先生の権威を守りたいからでしょうか。
そしてたいていの外国人学生は50点台がやっとです。60点出すとお、できるねえ。という感じで、70点超えは、もう州で何番、くらいの超優秀なイメージです。
わたしの学年の学年トップ君がいかに優秀だったかおわかりいただけると思います。
ちなみに、インド人はとても嫉妬深いので、人種差別もあります。どうやら、外国人に良い成績を取られるのが癪みたいです。だから、すぐ上の学年の学年トップさんは、50代エンジニア、アメリカ系インド人のおじさんですが、彼は89点で伝説の最高得点となりました。先生のお気に入りで、礼儀正しい、インド人の彼に最高得点を取らせたかったのでしょう。
が、彼の学年の問題はとても優しかったのと、彼はインド人ですからヒンディーができるので、ヒンディーの教科書(英訳されてない)を直接読める有利な点があったことを考えると、わたしはうちの学年の学年トップ君のほうが実力や勉強量は上だったんじゃないかと思っています。
話が逸れました。
つまり、うちの学年のトップ君が難しい、と訴えるレベルだったのに、そしてそれを少なくとも試験の日にはその元凶教授は知っていたはずなのに、結果発表になって試験が難しすぎる。質問もできなかった。と抗議したわたしに、
「わたしも結果が発表されて初めて今年の試験がこんなに難しかったと知ったんだよ。(問題の難易度を調整する)コーディネーターがいなかったなんて知らなかった。」
とぬけぬけと抜かしたのです。つまり嘘をついていたということです。コーディネーター云々は、たぶん語るに落ちる。で、わたしはそんなことは知らないし聞いてもいないのに余計な事を言ってますから、たぶん彼の命令でコーディネーターに問題の難易度の調整はするな、とでも言ったのでしょう。他の試験官にも、採点は思いっきり厳しく。とでもいったのでしょう。
そもそも、去年は変なことばかりでした。この1か月前の準備試験で、先輩達は、名前だけ書いて10分で出てきてしまう、準備とは名ばかりの試験で、だからどの学年のどの生徒も、合格点の50点以上取る生徒なんていません。0点のオンパレードです。
それが普通だったのに、去年は、なるべくよい点を取らないと本試験を受けさせない。とか、時間ぎりぎりまでがんばりなさい。と言われていました。
その意図など知らず、できる生徒たちはそのとおりにしていました。だからかなりの科目で、50点超えの生徒がちらほらいました。
つまり、わたしたちの学年がとても真面目で他の学年より優秀であることをあらかじめ知っていた元凶教授は、この準備試験でわたしたちの実力を測り、本試験でそれをもっと上回る難易度であるとか、過去問の傾向を外した出題にしてでも、点数で報復するために、意図的に落そうとした、と考えられます。
それが、解剖の先生が授業に現れないから、変えてくれ。と何度頼んでもらちが明かないので、学長→副学長→元凶教授、の順に頼みに行ったことの、わたしたちへの報復だというのですから、教師の風上にも置けないチ〇カス野郎です。
こんなことで恐怖政治を敷くことしかできない、小心者のチン〇ス野郎のせいで、わたしは2年生になれず、いつまで経っても臨床の勉強ができないのです!!!!
怒りと悲しみのせいか、胆嚢のあたりが重く張って苦しくてなかなか寝付けない日もありました。
たったひとつ上の学年はもう新3年生になって白衣を着て病院実習に行っていますし、元同級生たちは、また薬草学の先生がいないの。と暗い顔をしつつも2年生の勉強をしています。わたし一人、監獄に押し込められていつまでもつまらない1年生に取り残されているいるみたいだ。と強く思いました。
わたしは他の学生を見るのがつらかったのと、誰にもこの怒りと悔しさと悲しさは理解してもらえないんだ。と思い、他人との接触を絶って自然と砂漠の監獄のような寮の自室に引きこもるようになりました。
外に出ると、元凶教授のスパイがじっとわたしを観察していますし、誰かに愚痴ろうとも、皆元凶教授の、試験でのしかいし。を恐れて本音を言いませんし、却って告げ口したりするからです。まるでカンシュコフです。
元凶教授は、金を包んだ子弟は例え8点くらいでも通すくせに、気に入らない外人学生は4回連続、同じ試験で落としたりするのです。4回と言ったら、2年間落ちっぱなし。ということです。
すると、いろいろなストーリーの夢を見るようになりました。たいてい亡くなった母が出てきました。そして夢分析すると、もっと勉強しないと。大事なことを忘れてない?初心に帰りなさい。と説教される夢なのでした。
わたしは精神的に疲れ果てました。 激怒と孤独と悲しみとはこんなにも人間を消耗させるのか。と思いました。周りのだれも、信用できませんでした。あともう1,2か月、あの状態が続いたら発狂していたかもしれません。
↑中の人は違うけれど、檻の中のiwamula.こんなイメージ。
誰か、この砂漠の牢獄から出してくれないかな、…と思いながら、名医先生との約束の1か月が近づいたので、わたしは仮釈放される気分でいそいそと旅支度をしたのでした。
最新記事
(04/28)
(05/30)
(05/29)
(05/28)
(05/27)
(05/26)
(05/21)
(05/20)
(05/04)
(03/22)
(11/01)
リンク
プロフィール
HN:
FUGUEMON
性別:
非公開
職業:
元医者
最古記事
(08/11)
(08/22)
(08/29)
(09/03)
(09/12)
(09/25)
(10/31)
(11/01)
(03/22)
(05/04)
(05/20)